ミュージカル「BRAVE HEART~真実の扉を開け~」公演プレ企画第2弾!~Dream Dialogue 沼尾みゆき&望月衣塑子

Dream Dialogue 沼尾みゆき&望月衣塑子

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※安全衛生を確保するため、撮影関係者間でに社会的距離が確保できるよう配慮して撮影しました。

ミュージカル「BRAVE HEART~真実の扉を開け~」の上演に向けて、プレ企画の第2弾として、この作品の主演を務める沼尾みゆきさんと沼尾さん演じる新聞記者のモデルとなった東京新聞の望月衣塑子さんとの対談が3月5日、都内でおこなれました。初対面のお二人でしたが、すぐに打ち解け、和気藹々とした中でとても内容の濃いお話が交わされました。司会進行はミュージカル・ギルドq.演出の田中広喜が務めました。

【田中】BRAVE HEART 〜真実の扉を開け〜の特別企画といたしまして、今回のミュージカルで主演を務められる沼尾みゆきさんと、沼尾さん演じる主人公のモデルとなった望月衣塑子さんの対談を始めていきたいと思います。よろしくお願いします。
【沼尾・望月】よろしくお願いします。
【田中】まずはそれぞれ自己紹介をお願いします。まず、沼尾みゆきさんから。
【沼尾】はい。ミュージカルを主にやっています、沼尾みゆきと申します。今日はとっても楽しみにしてきましたので、どうぞよろしくお付き合いください。よろしくお願いします。
【望月】東京新聞の望月と申します。さっきちょっとお話してたら、自宅も近くて。
【沼尾】そうですね。
【望月】子供もほぼ同じくらいの世代で。ママさんたちが日々すごい頑張ってるなと近所のママ友を見てて感じてたんですが、同じようにみゆきさんが頑張っていると聞いて、今日もまだ生まれたての赤ちゃんを一緒にインタビューに連れてこられて、自分が一番大変だった時を思い出します。なのに早々舞台の主演をされて、かつ恥ずかしながら自分をモデルにした新聞記者を演じていただけるということで今からすごく楽しみです。
【沼尾】頑張ります。よろしくお願いします。


【田中】子供と一緒に仕事ができるようないい環境にしたいですね。さて、今回、新聞記者を主人公にしたミュージカルですが、僕は元々新聞業界に身をおいていた人間なので、是非とも新聞記者たちの生き様だとか仕事だとかを伝えたいと思ってこの作品を作りました。その新聞界、メディア界の中で活躍されている望月さんとミュージカル界で活躍されている沼尾さん、お互い長くそれぞれの世界にいらっしゃいますが、それぞれどうしてこの世界を志したのかお話いただけますでしょうか。

ミュージカルを観て雷に打たれたような感動!

【沼尾】私は、父親が高校の音楽の先生で、母親が近所の子供たちにピアノを教えているなど、音楽の環境が整っている家だったんです。なので、ピアノは小さい時から習ってたんですけど、父親が高校生のお兄さんお姉さんに歌を教えてたんですね。それを見ていて、歌うのも楽しそうだなとは思って、高校は声楽科に行きまして、そのまま音大に行きました。東京に出てきてはじめてミュージカルを見て、すごく感動してしまって。雷に撃たれたような感じで「これをやってみたい!」と。
【望月】歌は何歳ぐらいから?
【沼尾】中学二年生くらいから。
【望月】すごい英才教育ですね。そうなるのが自然な環境だったですか?
【沼尾】そうです。環境が整っているということは、やっぱりありがたいことで。勉強しやすいところにいるので、友達もお父さんお母さんがオペラ歌手だったとか、やっぱりそういった人が多かったですよね。
【望月】演技は(劇団四季に)入ってから始めたんですか?
【沼尾】そう、もう全然できなくて。踊りも芝居も本当に下手くそだったんですけど、先輩方にご迷惑をたくさんおかけして引っ張ってもらって、やっとここまでこれたというか。
【望月】私も何回かミュージカルを観させていただいていますが、演技力もすごく重要ですけど、やっぱり最後の華はダンスと歌だから、歌のできる女優さん男優さんって光りますよね。
【沼尾】そうですね。やっぱり主役をやるには、どうしても歌は必要になると思いますので、歌は絶対に技術をアップしなきゃいけないと思います。
【望月】じゃあ当時、浅利さんもご健在で。
【沼尾】そうです。
【望月】厳しかったですか?
【沼尾】そう!体育大学の合宿みたいな。「才能がある奴なんて滅多にいない。ほとんとが凡人。凡人は努力するしかないんだ」って言われて確かにそうだって思いながら、でも根性さえあればなんとかなるって思って。本当に根性と忍耐力だけです、あったのは。
【田中】では、望月さんの方は?
【望月】私が物心ついた時は1980年代の小劇場ブームで、劇団青い鳥や黒テントなどいろんな劇団が、小さな芝居小屋で毎日上演していたんですね。当時母は、知り合いの勧めで小劇場のお芝居を観るようになって、母も小さい劇団に所属して子育てしながら舞台をやる生活でした。日中の仕事から戻ってくるとカレーライスを人数分ばーって作って、子供たちに「あと食べてねー」って言い残して夜の7時からの稽古に出かける。
【沼尾】へぇーすごいパワフル!

フィクションから生の人間への関心へ

【望月】当時3、4時間睡眠だったのに「お芝居が楽しくてしょうがなくてやれたのよねー」と。アルバイトをして夜は稽古をして、観れる時は月曜から金曜まで私を連れ回して、いろんなお芝居を観せてくれましたね。「こんなに面白い世界があることを小さい時に知ってれば、自分の人生って変わったんじゃないかな」って。それで娘にはいっぱい連れ回してくれました。だから、私も舞台女優になるわと思ってたんです、当時は。
それが中学生になった時、また母から朝日放送のアナウンサーだった吉田ルイ子さん、フリージャーナリストでフォトグラファーでもあるんですが、彼女がニューヨークのハーレムの人たちの状況とか、アパルトヘイトで虐げられていた南アフリカ共和国の人たちの状況を書いた本を紹介されて、その本がすごく感動的だったんです。そして、渋谷でアパルトヘイトを描いたミュージカルが上演され、母と観に行った時にお会いしたら、すごい小柄な方で。終演後に握手してもらったんですけど、なんでこんな小さい人の中にいろんなエネルギーがあるのかなあと思ったんです。
いまは舞台でも映画でも時代を反映していないものはないと感じますが、当時は彼女の生き様に憧れました。そして、フィクションではなくてルイ子さんのように生の人たちにインタビューをしたいと少しずつ自分の関心が動いていったんですね。
たまたま父は電子経済研究所という中小企業の経済誌の記者をやっていたんです。その父に「新聞記者にすごい関心あるんだ」って話したら、父は「いろんな人に話を聞いて一つの自分なりの見解をまとめていく記者の仕事はすごく面白いと思う」と。好きな父も認めてくれるという部分と、ルイ子さんみたいな生き方をしたいという憧れも相まって、中学から高校にかけて、徐々に舞台から新聞記者の仕事に就きたいと思うようになりました。
でも、地方紙とかテレビとかかなり受けてことごとく落とされました。東京新聞に運良く拾っていただいて、なんとか新聞記者として今に繋がるという感じです。
【沼尾】落ちまくるんですか?
【望月】落ちまくりましたね。当時テレビ局は受験者は2万人ととても多かった。朝日新聞などの大手紙もそれくらいで、まず、一次の筆記試験が通らない。だから言われたのは「地方紙、業界紙も含めてどこでもいいから受けなさい」と。「どこの新聞社・通信社にも中途採用枠があるから、とにかく業界のどこかに入って経験を積むことが重要だ」って、何十社も受けましたね。
【沼尾】そうですか。全然知らなかった。
【望月】では、沼尾さんは劇団四季に入りたいと思って、それ一本ってことですよね?テストがすごいですよね。
【沼尾】すごいです。
【望月】審査員ずらっと、目の前で。
【沼尾】もう怖いんです。みんなこうやって(ふんぞり返るポーズ)見てるので。

「人が好き」(望月)、「人前で何かをやるのが好き」(沼尾)

【田中】お二人ともそれぞれお仕事を始めて長いわけですが、女優にしろジャーナリストにしろ、仕事を続けるモチベーション、エネルギーは何ですか?
【望月】そうですね。私は基本的に人が好きなんです。菅さん(現首相)との対決ばかり注目されて、「菅さんのこと相当嫌いですよね」っていろんな人に言われます。でも、決して嫌いじゃない。「あなたに答える必要はない!」とか色々ありますが、でも毎日見てる分、こういう人だけどこういうところはいいなとか、今日は普通に笑ったなとか色々見えてきます。いろんな人と会っても徹底的に嫌いになることはないです。
新聞記者は自分が関心を持ったらどんな人とでも会える仕事です。昨日の記事でここ失敗したとか詰めが甘いとか、後悔もたくさんありますが、出会った人からいろんな力をもらえて、次に気持ちを切り替えられる。やめたいなと思ったことはありません。
でも、唯一1人目の子供を産んで育児休業に入った時はちょっと悩みました。それまでは夜討ち朝駆けなど夜朝仕事がメインだと思っていたので、子供産むと到底それはできない。いろんな不安から、その時期は資格取ろうかなとか。
【沼尾】どのくらい育休はとられたんですか?
【望月】1人目の子供はちょうど4月生まれだったので、丸々一年とれました。でも、いざ復帰すると、今で言えばジェンダー問題やコロナ禍で感じることとなど材料があって、かつてのスタイルには戻れないけど、新たな領域でやっていけると思いました。
【田中】沼尾さんはいかがですか?
【沼尾】やはりベースは人前で何かをするのが好きというのがあって。仕事としてお金もらうようになってからは、うまくやらなくてはとか間違わないようにだとかいろいろプレッシャーからついついそういうのを忘れてたことがあったんですけど。今回このお仕事をいただいて、台本を読んでて「あ、そうだ、私人前でやるの好きだったんだ」とふとまた思い出しました。結局そこが原動力なんだなって思います。
家に帰ってきたら小さい子供達の面倒見なきゃいけないし、洗濯物は山積みだし、食器も山積みで吉野家のワンオペみたいな状況で「もうイヤー!」ってなるんですけど、稽古場行くとアドレナリンが出るのかわからないんですが、楽しいんですよ。毎回「もうこれやったら絶対辞めてやる!」とか思うんですけど、気がつくとまた稽古場にいるんです。
【望月】そういう厳しい環境に身を置いて自分を表現していくというのが好きなんですね。
【沼尾】はい。それは高校や中学から同じ気持ちでした。
【望月】表現したいという思いの強さは、女優さんや俳優さんはやはりすごいですよね。
【沼尾】舞台に立って自分が歌ってお芝居することで拍手をいただいて、それでお客様から「元気を貰いました」なんてお言葉をいただいた暁にはもうたまんないですよ。だからみんなやめられないんです。中毒患者です(笑)
【望月】舞台のエネルギーというか熱量感は、やはり舞台でしかないですね。皆さんの熱気と想いがブワーッとくるのを感じますよね!
【田中】今回は新聞記者を演じるということですが、沼尾さん自身の「新聞記者」に対するイメージや、どういう風に演じていこうかなどありますか?
【沼尾】参考資料は読ませていただいたんですけど、今日はご本人にお尋ねしようと思ってたんです。例えば、 1日のスケジュールとかどんな感じなのか教えていただいてもいいですか?
【望月】今はコロナなのでなるべく人と接触を避けていますが、必要な時は現場に行きます。朝、子供を送り出して8時半から9時くらいから役所へ電話取材をかけます。今は内閣府を取材していますが、昼ごろに会議がある官僚が多いので朝の9時から9時半くらいにかけて電話で繋がるところに一通りのコメントを取ります。その後は、たとえば今は外国人女性労働者の問題をやっているので、その彼女のスケジュールに合わせてホテルや住んでいる場所の近くに行ってインタビューをします。コロナ禍で非正規雇用の女性たちは仕事がなくなり大変ですが、中でも外国人の方達はいろいろ理不尽な状況に晒されています。女性が輝ける社会作りという安倍前首相が掲げた政策で、家事労働支援を外国の人に頼ろうと2017年ごろから大量にフィリピンの人を呼び込みました。しかし、コロナで需要が減って、一斉に解雇や雇止めなどが始まりました。みんな日本語も辿々しいので理解できないまま契約終了の退職願にサインさせられてしまう。外国人の女性が行き場をなくしているというお話しを弁護士からもらうと、まず電話でいろいろ聞いてから直接会いに行く。大体そんな感じ動いています。
【田中】記者あるあるとかこういう記者いるよねというものとか何かありますか?

告発の覚悟感に突き動かされて

【望月】そうですね。日本には「記者クラブ制度」があります。官邸には内閣記者会があり、そこに政治部記者が常駐し、首相や官房長官など中枢の人たちへアクセスでき、情報が取りやすくなっています。文科省でも警察庁でも検察庁でも各省庁ごとに記者クラブがあり、その中に東京新聞も所属しています。事務次官でも局長でも審議官でも官僚でなかなか会えない人たちとも、クラブに登録さえしていれば電話一本で話が聞けます。
ただ、一方で伊藤詩織さんに気付かされたこともあるんです。彼女は、当時のTBSの局長の山口さんにホテルで暴行を受けたという事件の被害者です。しかも、警察は彼の逮捕に動いていたのに、直前でストップがかかった。彼は安倍首相に非常に近い存在で、やはり忖度とか警察の配慮とかあったのではないか。それで2017年5月に不起訴になり、逮捕しなかったのも不起訴も不当だと当時26の彼女が顔を出して告発をしました。私はニュースを見てびっくりしました。日本の場合、一回不起訴になったものは9割9分起訴されない。しかも、名誉毀損で相手側から訴えられることも想定された。相手が一会社員ならまだしも、その後ろには安倍さんがいる。それでも記者として自分の声に蓋はできないと言って、親も兄弟もみんな反対なのに彼女は信念を曲げなかったんですね。
セクハラを受けてる女性記者はたくさんいるけど、でもどこかで目を瞑って誤魔化して、まあ頑張ってネタとればいいやみたいなのが自分もいたし、誰かに代弁してもらってそれを記事にすればいいかなって思ったところがありました。
加計疑惑で総理のご意向文書があったと告発した元事務次官の前川喜平さんもそうです。私は傍観者である意味守られた状況でいろんなことをやってきたけど、彼らの覚悟感を見てて、もう一歩踏み込まないと世の中は変わらないんじゃないかなと思いました。それぐらいあの二人の告発のインパクトは強かった。
菅さんの会見も、普通は政治部の菅番といわれる記者が聞けばいいんですよ。前川さんの告発などについて会見で質問はしますが、菅さんは「関係ない!一回捜査したんだから終わりだ!」だと言われたらこれ以上追及したらもうアカンとなる。(安倍首相の)御意向文書が別の共有フォルダにあったと各社続報がバンバン打たれてるのに。菅さんがその後のオフレコ懇談で不機嫌になるので、みんな空気を読んじゃう。外から見てる私からすると、この菅さんと政治部記者の阿吽の呼吸のおかしさはなんだろうなと。世の中の人は怒っているのに、会見場で菅さんの空気を読んでいる記者達は別の空気を読んじゃっている。本当は聞きたいけど、これ以上怒らせられないって。彼らの大変さは私も他の番記者をやっていたのでわかります。だったら第三者の私が普通の皆さんの怒りをストレートに伝えてみようと踏めこめたんです。突き動かされたというか。
ある海外のジャーナリストが、外国特派員協会で詩織さんが会見した時に「なぜ日本のメディアはこんなに詩織さんが訴えているのにおとなしいのか。あなたのような市民が声を上げた時に政治や社会を変える、市民の声を反映していくジャーナリズムがすごく大事なのに、本当に育っていない」と言っていて、私にも突き刺さりました。
腹立たしかったのは、テレビはNHK含めほぼ全社来ていて撮っているんだけど、終わった後に「お前どうする?これ流す?」とか「お前のところ流さないならうちもやめとくか」とか談合してるんですよ。談合するなよ!と。おかしいと思うなら1局でもいいからやればいいじゃないですか。みんな横並びに考えてしまう。この記者クラブにいる記者達がもっと意識を変えないと。本来欧米なら時の政権はすぐ葬られているのに、当時の安倍さんは倒れなかったわけで、やはり記者クラブ制度の中で記者達は本当の意味でのジャーナリストにはなりきれていない。それをやはり変えなければいけない。


【田中】この作品でも中心に描かれている「記者クラブ問題」はずっと長い間、言われていますね。閉鎖性があったり、政権のコントロールを受けやすい装置になっていたりと。そういう問題はあまり知られていないので、この作品がそれを伝えることはとても記者たちも勇気を貰えるし、ぜひ多くの人に観てもらいたいと思いますね。
さて、そんな中で、さきほど伊藤詩織さんの問題もありましたが、それぞれの業界で生きていく中でのジェンダーや女性差別の問題などをどのようにお感じになっていますか?あるいは具体的に経験されたりとかはありますか?

セクハラ許してきた過去に反省

【望月】駆け出しの新聞記者は地方の支局で警察取材から始めます。警察は、今は女性も増えてきていますが、ほとんど男性なので、署長とか課長クラスの私のお父さんかそれより上の世代の人達に取材します。きっちり意識が働いている男性は大丈夫なんですけど、勘違いしてしまう人もいます。いきなり抱きついたり襲いかかってくることもありますね。良くも悪くもだんだん慣れて、あしらい方もわかるんですけど。 ある千葉の若手の県議さんは、一度複数で食事したんですけど、その数日後に「今あなたの住んでるマンションの下にいる。車で待ってるので来れないの?」と電話がかかってきて。なんで家が分かってるの、なんなのこの人、みたいな。そういう完全に勘違いしている人もいっぱいいます。
女性記者は大なり小なり経験していて、PTSDになって悩んでいる方もいます。性的暴行を受け悩みに悩んで告発したら、相手が自殺してしまい。「あいつか訴えたから、彼が追い込まれたんだ」とセカンドバッシングを受けた方もいました。
テレビ朝日の女性記者が福田純一財務事務次官から「キスさせて、抱かせて、君とキスしたい」ということを延々と言われたセクハラ事件がありました。彼女は女性記者も普通の男性と同じく一取材記者として向き合ってほしい、この今の空気を変えるためにと、週刊新潮にリークして、告発するんですね。
彼女も詩織さんも私より一回り以上下の世代です。その子たちがこうやって声を上げなければいけない空気を作ったのは、私たちだなぁと思ったんです。福田さんは財務省のエリートコースをずっと歩んできてた人で、その彼に私の先輩も含めていろんな女性記者が被害にあってる。当時は夜道で二人になった瞬間に抱きつかれたとか。だけど、そうは言ってもネタをある程度話してくれるし、やっぱりこの人を売るとネタを売る女だとか言われたりするので、どこか我慢してたんですよ。この程度はまぁいいだろうって許してきてしまった。それが事務次官まで行っちゃった。事務次官の時は「福田さんを囲む会」みたいなものがあったらしく、日経のキャップとサブキャップの男性以外は女性だけで3カ月に1回囲む会みたいなことをやっていました。そこで「最近旦那さんとは仲良くないんじゃないか」とか言われて、みんなが嫌だなぁと思いながらもワハハと笑って、終わった後で「今日も気持ち悪かったねぇ」とか「あの人は絶対二人きりになっちゃだめだよ」とか女性の中で話し合っていたんです。彼を許してきた土壌を私たち上の世代がずっと築いてきて、黙って見過ごしてきた。私もそうです。私たちが十年前、二十年前に当時現場で嫌な目にあった時にもっと声を上げていれば、やめてほしいと言っていれば、男性もだんだん変わりますよね。それをやってこなかった責任を今感じています。罪滅ぼしではないですが、声を上げてくれる女性たちをしっかり支えてとりあげていくことが、変えていくきっかけになるのかなと思っています。
【田中】役者の世界はどうですか?
【沼尾】私が感じているのは、女優さんは強いと思うんです。男より強いと思う事があります。ホントに「あいつは男だから」ってよく言われますけど、演じる側の男性と女性では、私は女性の方が強いと思うんです。でも、演劇を経営する制作サイドというか、作り手の側の問題としては、私は制作サイドになったことはないのでわからないんですけれども、男性が優位だなとは思います。
【望月】そこに女性が入るっていうのはなかなかない?
【沼尾】あんまりないですね。
【望月】それは演者として女性が活躍している舞台はあるとは思うんですけど、それをまとめてコントロールするのは男性であることで、ホントはこうすればいいのになとかは?
【沼尾】そうですね。感じることはあります。
【田中】やはり作り手に男性が多いので、女性を描いても本当の意味で女性を描いていない。女性のステレオタイプの描き方が演劇の作品の中ではまだまだ多い。そういう意味で若い世代の作り手として、作家や演出家などで女性が増えてきているのは希望だと思います。
ただ、やはり演劇人の地位が低いことが、このコロナで露呈しました。全体を上げていかないと、私もコロナで二度舞台を流してしまいましたが、諦めてこの業界を去っていく若い人が増えてきているのが残念だなと思います。もともと役者なんて河原乞食だみたいな言われ方をしますけれども、欧米のように芸術家として地位を向上させないと、日本の文化そのものがコロナを契機に失われていくという危機感があります。

ジェンダーへの問題意識持ち続けることが大切

【望月】私は逆にコロナ禍になって舞台を観に行くことが増えました。生のエネルギーや人間にとって何が大切かなどメッセージがすごく凝縮されています。舞台や芸術などいいものを観ることで、日々嫌なことがあっても、浄化されていくのを感じます。
映画「新聞記者」が一昨年できた時に、フェミニストの人たちにすごく言われことがあります。松坂さんが演じる内調に出向する外務官僚の妻が本田翼さんでした。翼さんが生まれたての赤ちゃんを見ながら「たっくんはお仕事だけすればいいの。家のことは任せて」というセリフがあって、これはフェミニストに相当怒られましたね。「このセリフは時代錯誤ではないか」と。私も後でこの指摘に気づかされて。日々見るお芝居でも映画でもコマーシャルもそうですが「女性が家の中にいるもの」と、「外の仕事はたっくん頑張って、おうちは任せて」というセリフは、まさにジェンダーバイアスを加速させます。ホントは男性も女性もみんなで子育てをして、仕事も平等に社会で活躍できるべきなのに、こういうことを映画で刷り込まれてしまう。そこは映画の作り手側が意識をしなければいけないと言われて、そう思いましたね。藤井さんって若手の監督で物凄い感性もいいし、実力者だし、あの年代であれだけの映画を撮れる人はいない。だけど、彼は忙しすぎてお子さんは妻に丸投げで全然できていないって言っていました。役者も監督も製作スタッフもどこかで同じ問題意識を持って、日々の生活の中でちょっとずつ変えていかないと、無意識にそういう台本になってしまいます。
これまでジェンダー系の記事の扱いがホントに小さかった。(紙面ではなく)ネットでいいだろうというというのも他社で実際にありました。だけど、森喜朗さんの話題があれだけ大きく取り上げられて、世界的なバッシングを受けたことで、ジェンダーの記事をもっとしっかり出していこうと空気が変わってきました。男性のデスク、男性の編集局長ばかり、その中でジェンダー問題が疎かになっているのではないかと。書き手、作り手である自分たちも他人事じゃない。森問題は正に私たち事だなと認識しないと変わらないし、変えられないと思います。
【沼尾】ちょっと勇気が出ました、変えていけるかもしれないと。とにかく子供がいたらお母さんは我慢しなければいけない事がたくさんあると思います。私の友達でも、親が遠方に在住など環境的理由で仕事を諦めなきゃいけない人達がたくさんいます。私はたまたまマネージャーさんがつきっきりで(子供を)見てくれるからすごくラッキーなんですけど。そうやって役者を仕事にしてるお母さんたちはたくさん我慢しているから、その我慢を何とかして取れないかなと思っても、無理なのかなぁって思ってました。
【望月】一線でバリバリやっていた人たちが子育てに追われる何年間っていうのは、子育て自体は楽しいけど、自分がかつて表現できていた世界や自分の力を試す世界とはちょっと隔絶されるから、不安にさいなまれる時期だと思います。女優さん舞台で表現して感動を与えるってエネルギーってすごいし、そこにかかわっている充実感って子育てとは全然違う喜びがあると思います。ぜひ一時期を終えたら女優でも舞台制作の側でも、いろいろやり方はあると思うんので、戻って来てほしいなと思うんです。

記者の想い全て受け止めて演じる!

【田中】すごく楽しいお話を聞かせていただきました。最後にメディアの問題や新聞記者の姿をミュージカルで伝えるということで、この作品への望月さんからは期待を、沼尾さんからは意気込みをぜひお聞かせいただければと思います。
【望月】たぶん私をモデルにしていても、みゆきさんの中の女性記者というのを描かれるんだろうなと思っています。(映画「新聞記者」の)シム・ウンギョンさんは彼女の中の世界観で、彼女なりの女性記者を描いてくれました。だから、演じられる女優さんや監督さんやスタッフの想いの中で別のもう一つの新聞記者像ができると期待をしています。
新聞記者の世界って、記者クラブ問題なんかも含めて、わかるようでわからない。日々私たちも正義を振りかざして書きながらも、自分の取材スタイルや表現力とか追及力がこれでいいのかと日々悩んで葛藤しています。メディアの在り方もいまネット時代になって新聞も紙では読まれなくなり、若者が新聞とネトウヨの作ったニュースサイトとをどっちか正しいのですかと聞いてくるような時代になって、新聞記者がどう社会に対して表現し伝え、ちょっとでもいい方向に変えられるのかをまだまだこれからも悩まなくてはいけない。ただ、ネット上のこたつ原稿ではなくて、現場のリアルな人とかものとか事象に触れて、そこから感じる「やっぱりおかしい」とか「こういうことをもっと広めたい」とか「もっとこれがいろんな人にシェアされれば少しずつ世界は明るいものになる」とか、そこから自分たち自身が感じたことを伝えていくジャーナリズムは、ネットに特化していっても、たぶん変わらない。やはり権力を持つ人たちは横柄になりますし、権力を使って何かやることによって虐げられる人たちもどんな政権でも必ず出てくる。そういう日の光の当たらないところに入っていけるジャーナリズムは、民主主義国家であればあるほど必要な力です。だから、私が感じる希望というを舞台で伝えてほしい。悩んでいる記者、特に若い世代はこの業界を不安に思っている人もいるので、みゆきさんたちが作ってくれる舞台を見て、もう一度自分たちの原点を問い直して「記者として頑張ろう」「伝えていこう」「こういうことをもっとやっていこう」とか、希望を持てるんじゃないかと思っています。ぜひみゆきさんたちの力で大きなメッセージを伝えていただければと思います。
【沼尾】わかりました!そういう思いを一滴も漏らさずすべて受け止めて、体に入れてお芝居をしたいと思います。私は自分本位に演じることはせず、台本に書かれている役のキャラクター設定や思いを大事にしたいと常に思っています。あとは演出家の意見は注意深く聞くようにしています。演出家はそれぞれの役に対する思い入れがあると思いますので、そこを汲み取り、なるべく理想通りの役に仕上げることを大事にしなければいけないと思っています。今日はモデルに実際にお会いできて、これからやるべき事がホントによく分かりましたし、望月さんの思いや突き動かされる物が手に取る様に感じられました。それをすべて受け取ってやっていけたらいいなと思います。同時にちゃんと演出家の言うことも聞いて。素敵に演じたいと思います!
【田中】いえいえ!今日はどうもありがとうございました!

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